籠の鳥 ブログ

これは鳥かごから脱出するための日常の、あるコトないコトをつづった妄想日記である。

偶然じゃない必然

0は優しい

態度は冷たいけれど。皮肉しか言わないけど。悪態つくけど。生意気だけど。

心が優しい。それがわかる

相手のことを思いやれて勘がよくて

大事な時はちゃんとその優しさを表現できる

精密に出来ていて、優しくてデリケートで繊細


だから0につりあう人間は

0のことを一番に大切にしてあげられる人じゃないといけない

だから9のように家庭のある人間は

もともと必要以上に0の近くにいる資格はないんだ

そんな人間がゼロに近づくことは0を辱めることになる

9のような人間は0に近づいたりしちゃいけない・・・

指をくわえて見ているだけにすべし

いつでもどこでも堂々と0を一番優位に立たせてあげられる人間

そーゆー人間をきっと0も求めてる


やめないでって言いたい

私は探していたんだ0のことを


お店に張り紙を出して求人をしたのは9

その張り紙を見て

自分でも理由のわからぬまま

0が舞い込んできた

それは私に呼ばれたんだと思う

0は9に出会うためにここに呼ばれた

そんな気がする


ゆるされるなら9が0を幸せにしたい

0のわがままを聞いて よしよしできたらいいのにといつも思う

仮に年齢が近かったとしたら

9が0を幸せに出来る可能性はあったのだろーか

家庭も持っていなかったら…

口説きたい

でも問題はそこだけなんだろうか

そもそも性格からしてぜーんぜん脈ナシだったりなんかしたら・・笑える


しかしこんなふうに巡り会った今でも

9が0に許されていることだってあるんだから

出来ることをしてみればいい

年齢とか立場のせいにして行動することから逃げるよりは

たとえ恥かきながらでも許されることをしてみる

めーいっぱい手を伸ばして

だってせっかく同じ時代を生きてるんだから

そしてせっかく出会ったんだから

でもきっと0には、そんなのはた迷惑・・・

「ほんとに僕のこと思うんだったら何もしなくていいです

静かにしていてください」って言われちゃう

それは・・・仕方ないか

0は悪くない

無視されるか

嫌いですあっちいってくださいって言って逃げたりもされずに

話し相手になってくれているこの状況だけでも

奇跡なんだから

これは神様から出された難題としか思えない

そうじゃなかったらこんな人が何の意味もなく

突然ボッと私の前に現れるはずがない

私はこの挑戦を受けてたたなければならない


この物語はフィクションです。

ずっと前から変でした


ある時

0が9の前に現れた

じきに9は0といるのが好きになった

0が話し相手になってくれるから

0に会う前、9はノートがお話し相手

人間で相手になる人はいなかった

Dじゃ9の話し相手にならんし、子も9の話し相手にはならん

ママ友みたいな人たちも話題が違いすぎて9の話し相手にはならん

これまで9はいろんな人に囲まれてはいるけど孤独だった

視線をそらさずに対等に話せる人がずっと欲しかった

このままそういう人間と会うこともなく人生って終わっていくのかなって思っていた時0と会った

0とは年齢も性別も違うけど話していると心が安らいだ

いつしか0が9の心の中に住むようになった

偶然だと思うけど0は9の心の鍵をいくつも持っていた

話しているうちに一つ一つそのことがわかってくるのが面白かった

9は人知れず自分の中で0と向かい合う活動に取り組んだ

0と向かい合うことは修行に等しかった

どんなことも0を目標に頑張った

0に近づきたかった

でもこんなことを考えていることは決して0には言えない

秘密だ


決して言うことのない秘密だけれど0が9の前からいなくなってしまうとわかった時から9の涙が止まらない

このままずっと9の秘密なんかには気づかれないままずっと続いたらいいのに

だけど0はいなくなる

そうだ本を書こう。それが0が9に残してくれた遺産

0に会った時からうすうす気づいていた

0と会ったことをきっかけに自分が何か書くようになるだろうことを

本は書く。いる間にどんどん書く。だけどいなくなったら・・・

0もいないのに書けるかな

それにこれから誰が9の心の話し相手になってくれるだろう

0の話のセンスは絶妙だ

多くの人は0のそのたぐい希ない容姿のほうに気を取られるだろう

しかし9は0のその知性をより愛した

0の代わりはそこら辺にいそうで、しかしいない

0っていうのはこの世で天然記念物みたいな存在なんだ

そして9にとっては唯一無二の存在

そして9のこんな気持ちを上手に受け流してくれちゃう天才・・・

どうしてこんなすごい人が9の前に突然ぼっと現れたのかわからない

わからないけどすごい人に出会ちゃったんだ

だけど0にとって9は葉っぱの上の芋虫同然

0にとって9は害虫も同然

何も求められてないって・・・なんか気持ちは楽だけど泣けてくる

9は0のこと すごくほしいのに

やっぱりすごく泣ける

そーゆーゲテモノを見るような目でワタシを見るのやめてもらえませんか・・・

0のスペシャルな記憶に留まりたいとは思うけれど、きっと0はこっちの期待以上の、予想を大きく上回る範囲で9のことを忘れる

少し位覚えていてくれてもいいのにと思うけれど、たぶんぜんぶ忘れる。忘れちゃう・・・

でも0にとって私はそれぐらいの存在のほうがいいんだ。0が苦しまずにすむから

なんで0がいなくなっちゃうと思うだけでこんなに涙が溢れてきちゃうんだろう

涙が溢れてもう何にも書けない・・・

お別れは言いたくない

お店を辞めていっちゃうのに、これからもよろしくねっていうのもなんか変だ

このままがいい

このまんまずーっと

ここで9に0の相手をさせてほしい

9にとって0はマジ大切な存在

0の幸せになっていく姿を、成長していく姿を見守っていたい

はいずってる姿も、羽ばたいている姿も見守っていたい

9に許される形で応援していたい


注:このお話はフィクションです。登場する人物は実在する人物とは関係ありません。

自給自足

え?わたしたち?

不倫なんかじゃありません。そんなこと言ったらこの人がかわいそうです

0のことは辱めないでください

不倫なんてそんな仲じゃなくて、もっと別のものです

世の中に不倫なんて言葉があるから何でもかんでもざっくり全部

その言葉でくくろうとするけれど

人の世はそんな単純じゃないはず

そんなこと言う人は安っぽい何かの見すぎだ

自分の心の相手になるような骨のある人間が、たまたま若くて男だっただけだ

無論それを不倫なんかと言われたら心外だ

まぁ実のところ言われるほどの事実もない訳だが

この年頃の専業主婦は忙しい

結婚もした子育てもした

え?専業主婦ってやることを許されているのってそれくらい?

この分だと夫の面倒、子供の面倒、両親の面倒

そしてさいご面倒を見るものが誰もいなくなったときになるのが

カラの巣症候群に代表される虚無感に支配される心疾患

その予防に役立つのが40代50代でいかに自分のわがままで人生を謳歌できたかという

いわばメイドの土産作りだ

この不認可の活動を専業主婦業と言う本業の傍らいかにこなせたかと言うところに予防の鍵があると思う

人は健康診断だとか人間ドックだとか肉体の病気に対する予防は公式なだけに積極的だが

心の疾患の予防は非公式なだけに自分で自分の責任において独自にするしかない

心の病にかかる高齢者は多いというのに・・

私は自主的に心疾患の予防をしているまでだ

0に向き合う活動それは

社会通念上グレーゾーンとされているかも知れないけど

間違ってない


お花屋さんでのお仕事あそこでの仕事は私にとっては労働ではありません

生きていくためにする労働それは私にとってはむしろ家庭の方です

家庭での専業主婦の業務が私にとっては食べていくためにしている労働です

私にとっては結婚生活はお仕事です

そう言えば悲喜こもごも全て割り切れるでしょ

夫への不満も、満たされない思いも、後悔も

私の心の大切な部分は別にあると思えば惜しくもないでしょ

来る日も来る日もボケ茄子のお世話なんてまっぴらごめんだ

自分を哀れんでメソメソするのはもうやめ

わたしは哀れな奥さんじゃない

自分を家庭の中での被害者にして哀れむんじゃない

自分の心のお面倒を見てあげられるのは自分だけ


でもこの理屈は、結婚する相手間違えちゃったかもと思ってメソメソしている人の話

結婚生活悔いはないという人には、これは当てはまらない


寂しい時はこうするの。なんか、人、掴んでる感じするでしょ

自分なんだけどね

お腹がすいたらタコ、自分の足食べる。みたいな

自給自足ってやつ