籠の鳥 ブログ

これは鳥かごから脱出するための日常の、あるコトないコトをつづった妄想日記である。

怒られるのをなくそう



怒られるのをなくそう

2月28日までに怒られるのがなくせなかったら

お店をやめる


今の状況はまるで

「ビリビリの網か何か渡されて、これでハエ

うまく叩けなかったらお前の能力がないせいだと言って

怒られる」

そんなようなもの。

それでうまくできたら「当たり前」

できなかったら「技術がないなぁ」

と言って馬鹿にされる

ちゃんと仕事してほしかったら

その前にちゃんとした網

渡せや。

それと監督の無知と勘違いのせいで

難癖つけられて怒られる

言いがかりつけられては怒られる

3つあったら2つは監督の無知と

勘違いによる言いがかりだ。

9が人柱になってる

そんな上司の下で働くの、もういやだ

9のすることが気に入らないらしく

片っ端から直される。

ああすれば「こう」こうすれば「あー」と言って

いちいち注文つけられるのは

ひとえに9のする事がとにかく気に入らない病だ。

作業の基準がその日の監督の

気分によっても変わるから

仕上げたものをいちいち直されたりして、たまらない。

なんかもー 仕事行くのやになった。

いままでは監督が、人を威勢よく

怒っていると調子が出る人みたいだから

応援する気持ちを込めてぶたれてあげてたけど

なんか最近それもやになった。

監督、9がリスペクトを込めてぶたれてあげてること

わかっててくれてると思ってたけど

最近それもどーかなって感じる

なんかバカバカしくなってきた



その葉っぱの使い方は稚拙です


大小作ブランドだかなんだか

知んないけど

9こんなのさすのやだ

これが大小作ブランドなんですか?

あんな変なの

大小作ブランドとか言っちゃって幼稚

それさせとか言われるのがほんと苦痛


0やめたらもうあの店 戻れる気がしない

私だって人間と 人間みたいな話がしたい


9はいつも

0の棲んでいる世界目指して飛んでるけど

Dは棲んでる世界というものを持たない

違った人種

空っぽのうつろ

だから段ボールって呼んでるの

DのDはダンボールのD


Dの棲んでる世界を見ようとして

探したけど、聞いたけど、やっぱりない

持ってない そういう概念 ない

空恐ろしかった 淋しかった

このままこういう人に寄り添っていくのが

残された自分の人生か

私だって人間と 人間みたいな話がしたい

共有できる世界がない人と

死に別れるまで一緒にいるしかないんだ

と思うと絶望した

何度も何度も歩み寄ろうとしたけれど

そのたびに私の善意は踏みにじられた

しかもDには全くその自覚がない

無意識なのだ

人知れず傷つくけどDは全く気がつかないで

笑ってる

空恐ろしかった


趣味もあわない 話もあわない

食べ物もあわない 価値観もあわない

子育ての仕方もあわない 生理的に嫌い

一緒にいると楽しくない 落ち着かない

考え方とか軽蔑してるところなら色々ある

Dはお金が全ての価値判断の基準

男はお金だけ稼げばいいと思ってる

妻の9も基本 仕事を口実に家を出ることしか

できない

金銭至上主義のDにとっては

妻が働くということは

推奨されるべきことだからだ

Dの飯炊き要員として生かされている


子育て期間中の休日は

聞いたこともないような戦争映画ばかり

幼い我が子 無視してずっと見てた

それもストーリーが特になくて

ずっと銃声と悲鳴だけが鳴り響いてるやつ



一方通行な愛情表現しか知らない

子供と戯れてくれた事はなかった

9の産んだ子供を可愛がってくれない

Dの子なのに

可愛がってるつもりみたいだけど

子供いやがってる

子供が2人ともDのことが大嫌い

etc. etc・・・


共通してあるのは

Dのことを好きだと思ってたのは

勘違いだったと悟るまえの数年間にある

楽しかった思い出と

間に子供がいることくらい

今はもう

同じ時間を共有するのが苦痛で

同じ空間にいるのが苦痛だ


どーしてこんな風になったかと思うが

心当たりならある

まず出会って3ヶ月で

結婚の申し込みを受けてしまったのが

9の間違い

それからDの母親のことが

9は大嫌いということ

金銭至上主義なやり方

銭の威力で人の上に物言う言い方

全部嫌いだ

そしてよくも

Dをこんな風に育てたものだと

恨みがましく思う

愛情不足で育った反動で

ある種のマザーコンプレックスのD

無意識下で母親のものの考え方、やり方

言うことが見事に刷り込まれて

出来上がっているDのことを

9は嫌い


Dの気配に悪寒がはしる

9は逃げたい 逃げたい Dから逃げたい

Dの鳥かごから逃げたい



このお話はノンフィクションです。

苦しみよコンニチハ



9はずっと欲しがるより欲しがられる側だった

ほしがる側に回るのは怖かったから

だから9はもらわれる子の側にまわって

大切な人を失う痛みから逃れたと思ってたら

こんどは自分を失う痛みとコンニチハする羽目に・・・

虚しさとトモダチになる羽目に・・・

こっちも相当な苦しみだ


こんどは欲しがる側だ

誰かを欲しがるっていうことも

痛みを伴うらしい


欲しがって得られなかったときは

それはまさに得られなかった痛み。

いつも悔しくて泣いてる

9は0のことすごく欲しいのに・・・

相手にされない


望み通り手に入ったとしても

今度は手に入れたものを失うことへの恐れ。

失う痛みと出会う。


どうやら人は痛み苦しむようにできているらしい

欲しがる側になっても欲しがられる側にまわっても

やっぱり痛み苦しみはついてくる

どちらにせよ痛くて苦しいものと

コンニチハするのか・・


もし 痛いのも苦しいのも

この世の余興と思えるのならば

やっぱりいっそのこと

目一杯 手を伸ばして欲しがる側に回ったほうがいい。

そっちの方が

断然楽しい

断然うれしい

断然満足できるのかもしれない


結局9はなんで人生間違っちゃったかって言うと

ずっと欲しがられる側に回りっぱなしだったから

もらわれる子の側だと楽だけど

自分が欲しいものは手に入らない

怖がらないでちゃんと欲しがらなきゃいけなかった

それが9の痛くて大きな反省

後悔してるからもう繰り返さない

痛みと苦しみの代償と引き換えに欲しいもの手に入れる

9は恐れないで進めばさいご

痛いこともわかるけど

思った通り進む以外考えられない

9が最も恐れるのは想像するだけで何もしないこと

何もしないで後悔すること

恐いのはそれだけ